【都督の初夜2】


  

公瑾様がお帰りになりましたよと部屋の外から声をかけられて、花はぴくんと背筋を伸ばした。
新婚初日。
みっともなく酔いつぶれて記憶はまったくない。
ようやく二日酔いから立ち直った午後、花は夫、公瑾が城へと仕事をしに行ってしまったと召使から聞いた。

……怒ってるよね……

怒られる。軽蔑される。
昨夜は……いわゆる初夜で、今朝は新婚第一日目なのだ。普通の奥さんならつつがなく、朝出ていく旦那様を優しく見送ることだろう。
それが自分は、昨夜は何度も公瑾の手を煩わせて吐き、今朝は二日酔いで記憶がない。
「最悪だあ……」
だが逃げているわけにはいかない。正々堂々謝るしかないと花は心を決めて部屋を出て、広い玄関へと向かった。

さわさわと女中たちがざわめき、玄関の方から空気の動きに乗って話し声が聞こえてくる。
のんびりとしていた屋敷が、公瑾の帰宅によってピリッと緊張した雰囲気になった。女中たちの動きから見ると、公瑾は玄関から入り、今の日本でいうリビングのような広間にいるらしい。
花は気まずい思いを我慢して広間に入った。
「あの……公瑾さん、お帰りなさい」
ちょうど召使に何かを指示していた公瑾がこちらを見た。
なぜか花は赤くなる。

ふ、夫婦みたい…!
っていうか夫婦なんだけど!こんな場所で公瑾さんを見るってなんか……

公瑾の屋敷は当然ながら城とは違い、豪奢ながらも落ち着いた品のいい内装で、その中に立っている公瑾も城で見るような感じではない。
婚約中に何度か来たことがあったが、その時は客としてだった。今は……これからはここに住むのだ。公瑾と一緒に。
「……」
まず謝ろうと思っていたのに、花は照れくさいのと気まずいのとドキドキするのとで頭が真っ白になってしまった。
公瑾はいつもの冷静な顔で花を見ている。
「……ただいま帰りました」
公瑾の静かな声で、花の顔はさらに赤くなりなぜかにやにやと口が緩みそうになってしまう。それをごまかすために何度もこくこくとうなずいた。
妙に気恥ずかしくて公瑾に近寄れないでいるのに、彼はすたすたと花のそばに歩み寄ると花に手を伸ばした。

わー!!!!

と、焦っている花には気づかず、公瑾は花のオデコに手を当てる。
「顔が赤いですね。まだ体調が悪いのですか?」
「いっ、いえ!いいえ!いいえ、体調はいいです!その……その、昨日はすいませんでした!」
花が思いっきり頭を下げて完全屈服を示しているのにもかかわらず、上から降ってきた公瑾の声は凍えそうなくらい冷たかった。
「昨日だけですか?」
花の顔は今度はさーっと蒼くなった。急いで顔をあげる。
「いえ!今朝もです!朝も、昼も本当に本当にごめんなさ……」
そこまでいいかけて、花は公瑾が笑いをこらえているのに気が付いた。
「公瑾さん……」
ぶっと公瑾が抑えきれずに吹き出し、それから楽しそうに声をあげて笑う。花はぽかんと口を開けて、背の高い公瑾を見上げた。

わあ……こんなに近くでこんなに大笑いしているのを見るのは初めてかも……

花の胸がきゅんきゅんと鳴る。イケメンの笑顔の破壊力たるやすざましい。
花がぼーっと恋する乙女モードで公瑾に見とれていると、公瑾はようやく笑いを収めた。
「……体調がよくなったのならよかったです。これに懲りて酒を飲むときは気を付けるのですね」
「はい。……でも、お酒だって思っていなくて……」
「ああ、そうでしたね。では、これからは自分が何を飲んでいるかきちんと把握するようにしてください」
「……はい、すいませんでした」
重ねて謝る花に、公瑾は首を横に振った。
「いいのです。私も昨夜はいろいろ得るものがありました」
お湯の準備ができたと召使が告げに来たため、公瑾は部屋を出て歩き出す。花も会話の途中だったのでつられてついて行った。公瑾の言葉と笑顔が気になる。『得るもの』ってなんだろう?普通なら新婚初夜に一晩中看病させられてうんざりすると思うんだけど……
「え、得るものってなんですか?私のバカさがわかったとかそういう……」
公瑾はまた声を出して笑った。
彼の笑顔に花はまだドキッとする。
自邸にいるときは城にいる時とは違ってリラックスしているようで、そんな公瑾を見られて花も嬉しい。
「違います。まあそれは秘密としておきますが……ところで私はこれから風呂に入るのですが、あなたも一緒に入りますか?」
「え、……ええええええ!!!?」
後ろに後ずさった花を、公瑾はまた楽しそうに見た。
「私は別にかまいませんよ。どうしますか?」

か、かまいませんよってかまいませんよって……!!ええええーーーー!?

花は顔を真っ赤にして首をぶんぶんと左右に振った。
「いっいいえ!いえ、いいです!私は、その、後で、一人で、入るので!!」
公瑾はあっさり頷いた。
「そうですか。ではまたの機会に」

ま、またの機会!?

さらりと言った後半の言葉に花が固まっていると、公瑾はそのまま歩いて行ってしまった。
花の心臓はドッドッドッドッと打ち付けている。
そうだ、昨夜がダメダメだったせいで、今夜が……今夜が初夜なのだ!

花は手のひらにじんわりと汗がにじんでくるのを感じていた。



夕飯は緊張しすぎて味がさっぱりわからなかった。
四角い大きなテーブルの端と端で、花が思わず『遠いですね……』と言ったら、公瑾が召使に命じて、小さな円形の机の方に作り直してくれた。
公瑾のことだから、この大きなテーブルが正統なのです、あなたもこれから学ばないといけない云々、上から目線で説教を受けるかと思ったのに。
どうしたんだろう…と花がこっそりと観察したところによると、公瑾はとにかく機嫌がいいらしいということがわかった。昨夜のことを怒っていないというのも本当らしい。
花は気づいていなかったが、公瑾は見る人が見ればそれとわかるほど浮かれていたのだ。当然屋敷の召使いにはばれていた。
人を好きになって、思いを通じ合わせることができ、嫉妬をしケンカもし。ようやく思い人が自分のものになったのだ、いくら公瑾といえども浮足立って上機嫌になるだろう。
屋敷の使用人たちは花と出会ってからの主の変わりように驚いていた。
いつも無表情で感情的になることもなく、何もそこまでと思うくらいに自分に厳しく生きていたこの家の主。
花と出会ってから、帰ってきた瞬間から機嫌のいい日や、逆に当り散らしてくる日が出てきた。そしてたまに練習する琵琶の音も感情豊かに美しい音色へと変わっていった。
だから、屋敷の使用人一同、主が思い人と婚約したことに喜び、屋敷に奥方様として着てくれることを歓迎していたのだ。
給仕をしてくれる女性やセッティングを変更してくれる男性たちが、花と目が合うをにこっと笑ってくれるので、花もせっかくきれいに夕飯をセッティングしてくれたのに申し訳ないと思いつつ気が楽になる。
そうして緊張しながらも楽しく夕飯を食べ、花は風呂を使い、とうとう二人にとっての初夜がやってきた。

召使が出してくれたお茶を、寝所の窓際にある長椅子で飲みながら、二人の結婚式の後での宴会の話や、今日城にいってどうだったかを公瑾が話してくれて、会話が何となく途切れた時。
公瑾と目があった。
花はドキッとして思わず目を見開いて公瑾を見る。
長椅子の背にもたれ椀に口を付けていた公瑾は、その花の表情を見て手に持っていた椀を机に置いた。
「あ、あの……」
沈黙が痛い。
花は何か言おうとしたが何も浮かばない。公瑾は相変わらず無言で、花の肩に大きな手を置いた。

く、来る……!!!

花は覚悟を決めてギュッと目をつぶる。
やることはわかっている。
……たぶん。だいたい。

最初は……キスかな?抱きしめられるのかもしれない。そこから映画とか漫画とかで見たみたいに押し倒されて……あ、ここ長椅子だけど大丈夫かな。私は大丈夫だけど公瑾さん背が高いから足がつかえちゃうかも……

動揺してるせいかいろんな思考が花の頭を渦巻く。

きたるべきものの到来を待っているが、なかなか来ない。どうしたのかと思っていると、公瑾の笑みを含んだ声がした。
「……そのようにギュッと目をつぶられても困りますね……目を開けていただけますか」
花はぱちっと目を開けた。
驚くほどまぢかに公瑾の整った鼻筋やすっきりした顎が見えて、花はたじろぐ。
灯りは一つだけなので薄暗いからまだいいが、現代日本のように明るい部屋だったら真っ赤になっている花の顔がまるわかりだろう。
「何も襲うわけじゃありません。口づけは何度かしたでしょう?」
「は、は……い……」
言葉の途中で公瑾の顔がゆっくりと近づいてくる。花は目を閉じようとして、先ほど公瑾から『目を開けろ』と言われたことを思い出した。
「……目を見開きすぎです」
唇に触れる直前で、公瑾が呆れたようにそう言って体を離した。
言われた花は、じゃあ、と今度は薄目を開けると、公瑾が吹き出す。
「普通にしてください」
「それが……緊張しちゃって顔が変になっちゃうんです」
ホントにそうなのだ。どこを見ればいいかわからないからキョトキョトと挙動不審だし、笑うのも変だし泣くのも怒るのも変で、どんな表情をすればいいかわからない。
「……初めてなのですか?」
花はコクリとうなずいた。
「はい。……公瑾さんは?」
「……」
公瑾は大きな掌で自分の顎を覆うと視線をそらした。
そして再び花を見る。
「初めてですよ、好きな相手とはね」
公瑾の言葉の意味を考えている途中で、公瑾の体が寄せられ唇が柔らかく重なった。
「ん……」
ため息のような吐息が花の口からもれると、公瑾の腕にぐっと力が入り花を強く抱き寄せた。
えっ?と思うくらいいつもの公瑾とは違う強引さで、唇を舌が割って入ってくる。押し寄せるような公瑾の勢いに流されてしまいそうで、花は公瑾の背に手をまわしてぎゅっと服をつかんだ。
「こ、公瑾さん……」
息継ぎのために少しだけ唇が離された時に、花が戸惑ったように名前を呼んだがすぐに再び公瑾の唇に飲み込まれた。そのままゆっくりと押し倒され、思う存分公瑾に貪られる。
ハッと気が付くとのしかかるように公瑾の脚が花の脚を割っている。

ちょっ……え!?て、展開が早いんですけど…!え?このまま?

「花……」
熱い声で耳元で名前を呼ばれて、花の背筋を電気なようなものが走る。
え?と自分の反応に驚いていると、胸の奥が熱くなってきて何も考えられなくなった。

あとはもう、公瑾の手や唇に翻弄されるまま。
花は自分の全てを公瑾にゆだねる。

蝋燭の炎が微かな夜風に揺れ、壁に映った影が音もなくゆらめいた。









つづく