【都督の初夜5】


  

「あら、花さん。またいらしたんですか?忘れ物ですか?」
「尚香さん!」
城に行き最初に会ったのは尚香だった。
「あのっ聞きたいことがあるんです」
「まあ、なんですか?」
「結婚したら、奥さんは外出を自由にできなくなるんでしょうか?旦那さんの許可をもらわないと外出しないのが普通ですか?」
尚香は笑った。
「私も下々のことまでわかっているわけではないですが、少なくともこの城に来て付き合いのある武将や領主たちの奥さんはそんなことはありません。逆に住んでいる屋敷も違ったり、奥さんもたくさんいるのが普通ですので、お互いの行動を把握していないのが普通ではないですか?」
「え?住んでるところも違うんですか?」
「ええ。正夫人は同じ棟に住んでいる場合は多いですが、それでも部屋は別々だと思いますよ。夫も妾の家で休むことも多いでしょうし」
そうか、前の隠し子騒動のときも言われたが、この時代で公瑾のような地位の男には妾が多数いるのが普通なのだ。ということは、同じ屋敷で同じ部屋に住んで奥方の行動を把握しようとしている公瑾は、もしかしたらいい夫なのだろうか?
「……」
微妙な顔をした花に、尚香が訪ねた。
「どうしたんですか?公瑾に何か言われたんでしょうか?」
「はい……」

花が事の顛末を話したところ、尚香は『まあ!』と、憤慨した。
「それはあんまりです。妻の自由を奪って閉じ込めて……公瑾がそんな男だとは思いませんでした!」
「でも、夫婦なのに別の家とかお互い普段やっていることがわからないとか、そんなのは嫌なんです。だから……」
「じゃあ、花さんは公瑾に奴隷のような扱いをされてもいいっていうんですか?」
「いえ、それはもちろんいやですけど……。だから中間くらい的な?」
なんだかわからなくなってきた。わからなくなってきたけれど、自分がこの時代の公瑾の地位の男たちのような夫婦関係を望んでいるわけではないことだけはわかる。でも外出時間から外出の目的まで全部許可をもらわないといけないのも嫌なのだ。
花が混乱していると、後ろからにぎやかな声がした。
「あら、どうしたのです」
呉夫人。
「あー花ちゃんだー!」「どうしたの?家出?」
大喬小喬。
「何だお前ら集まって……っておまえか。来てたのか。公瑾はいないのか?」
そして仲謀。
なんのかんのでフルメンバーになってしまった。
この状況で、話の流れで尚香が花がここに来た理由を皆に説明すると、当然のことながら皆も憤慨してくれた。しかし花は夫の告げ口をしたような形になってしまったこの流れに、困っていた。呉夫人まででてきて大事になってしまったではないか。
「あ、あの、すいません。私、もう一度公瑾さんと話してみますんで……へんな相談してすいませんでした」
花がぺこりと頭を下げて帰ろうとすると、大喬と小喬が引き止める。
「えー?帰っちゃうのー?」
「そんなこという公瑾のところになんか帰らなくていいよー。泊まっていきなよ」
「でも……」
花の言葉は途中で止まった。皆の向こう、曲がり角から出てきた背の高い人影――公瑾だ。
公瑾は話し声が聞こえていたのか、驚く様子もなくつかつかと花たちのそばまでやってきた。

「失礼します。花、帰りますよ」

いつも通りの無表情で、公瑾はそういった。
堂々と人前で名前を呼び捨てにされたのは初めてで、花はなぜかドキンとする。
嫌なわけではなくてどちらかというとその逆のような感覚だ。この中のだれよりも公瑾の身内というか……まあ実際そうなのだけれど。
公瑾は手を伸ばして花の手を取ると、そのまま皆に会釈をして立ち去ろうとした。
が、当然ながらおとなしく眺めている面々ではない。

「ちょっと待ってよー。花ちゃんの言い分も聞いてあげなよ」
「そうだよ。花ちゃん、このまま帰っていいの?」
夫婦げんかの仲裁を皆に頼んでいるようできまりが悪い。花は冷や汗をかきながら隣で立っている公瑾を見上げた。
「えーっと……」
公瑾は冷たい目で皆を見た。
「夫婦のことです。彼女はまだこちらの世界での夫婦についてわかっておらず、ご迷惑をおかけしました。今後はこのようなことのないよう、私からきっちりいろいろ教えますので」
その上からの言い方や冷たい声色に、花は前途の暗さを感じる。
かたくなで話しても聞いてくれなさそうな。
家に帰ってからの二人きりでの話し合いを想像して花はどんよりとなった。
公瑾はそんな花には気づかずに促し、帰ろうとした。
その時。

「待ちなさい」

毅然とした声が二人を止めた。
呉夫人だ。

「公瑾、その態度はなんです。妻がいて夫がいる。夫がいて妻がいる。夫婦とはお互いに支え合うもので、どちらかに従うものではないのですよ。それなのにおまえの先ほどの言葉。『教える』などと、教師でもあるまいし。だいたいこの娘がここまで駆け込んでくるなんてよほどのことですよ、いったい何をしたのです!」

公瑾が悪者であることを確定したかのうような呉夫人の表情と声音に、花は慌てて夫人に説明した。
「あの、特に何かされたというわけじゃないです。ただ、公瑾さんが、妻というものは夫の許可を得てからではないと外出はできないものだって言ったんで、それはほんとなのかと思って聞きに来たんです」
「だからその言い方を聞いているのです。普通にこの世界の常識を教えただけでおまえがこんな時間にここまでやってくることはないでしょう?公瑾から何と言われたんですか?」
呉夫人は今度は花に向かって問いかけた。迫力のある婦人に面と向かって問われて、花はごまかせなかった。

「……えっと……外出したい時は事前に、出発時間とか帰る予定時間とか行先をか会う人を書いて、それを公瑾さんに見せて許可をもらってからではないと外出してはいけないと言われたんです。それで、それは何か違う気がして、ここまで聞きに来たんです」
呉夫人は花の言葉を聞くと、盛大に顔をしかめた。
「まあ…!なんてひどい!妻は使用人ではないのですよ、公瑾」
大喬、小喬、尚香も、まさかそこまで詳細に報告するようにと言われていたとは思っていなかったようで口々に公瑾を責める。
「横暴だよ!」
「公瑾ひどいよ、最低!花ちゃん、そんなこといちいちしなくていいよ!」
「わたくしも、そのやり方はさすがにあまりよくないかと……もう一度花さんとよく話し合った方がいいのではないですか?」
わーわーと公瑾が責め立てられるのを、花は自分のせいでと申し訳なくて公瑾を見上げた。
公瑾はイライラしたような顔をして立っている。
そして以外にもこの公瑾の窮地で彼をかばったのは、この場で唯一同じ男性の仲謀だった。

「まあまあ……落ち着けよ。公瑾の言い分も聞いた方がいいんじゃねえか?」

しかし大喬がすぐに言い返した。
「そんなの、偉ぶりたいだけに決まってるよ!」
呉夫人もうなずく。
「もう少し夫婦とは、ということについて考え直した方がいいですね」
尚香も言った。
「公瑾は……堅苦しく考えすぎなのではないですか?仕事や軍隊ではないのですよ、なぜそんなに花さんの行動をおまえが把握する必要があるのですか?」
皆の視線が公瑾に集まる。
公瑾は苦虫を噛み潰したような顔でため息をついた。

なぜこんなところで自分が申し開きをしなくてはいけないのか理解に苦しむが、適当にごまかせるような面々ではない。
公瑾が頭が上がらない数少ない人間をそろえてこういう状況を作り出したのは自分の賢い妻だと思うと、小憎らしい反面誇らしくもある複雑な心境だ。

「彼女の安全のためです」

公瑾は腹を決めて、きっぱりと答えた。
「これまでにも一人で夜に街に飛び出して男に絡まれたり、戦場で夜間男ばかりの中をうろうろして男の目をひいたりと、非常識な行動が多かったのです。どこで何をしているのかを私が把握して、何かあった時に対処できるようにしておきたいのです。今日も、私が帰った時には彼女は家におりませんでした。どこに行ったのかと思い悩まなくてはいけないのも心が乱されて迷惑なのです。結局は玄徳殿のところに帰ったわけではなくこの城に来ていただけだったのですが、もし私が事前に城にいることを知っていたら、彼女と一緒に帰ることができました。つまりは私は余計な心配をして悩み、その上彼女と共に過ごす時間さえ無駄にしていた。私があらかじめ彼女の行動を知っていればそのようなことはあり得ませんでした。そう考えると、彼女の行動を事前に私が知っておくのは合理的だと思うのですが」

いかにも迷惑そうで恩着せがましくうっとおしい言葉だが、よく聞くと微妙に……いやかなりのノロケというか新婚夫のめんどくさい嫉妬まじりの気苦労というか……。
要は公瑾が花のことが大好きで大好きでいつも考えて心配しているという告白なのではないだろうか。
皆は途中から気づいていた。
気づいていないのは『花殿にも困ったものです』といった表情でぶつぶつと文句を並べ立てていた公瑾だけだ。
花でさえ途中から頬を赤らめている。

(なるほど……玄徳のところに帰られたと思って血相変えてさがしてたわけか。)
(そうみたいだね、で、花ちゃんはのんきに戻ってきて、城に行ってたって知ったんだね。)
(その温度差のせいで公瑾が余計かっとなって、外出についてはすべて報告するようにと言ってしまったわけですね。)
(やれやれ、公瑾ほどの男がこんなになるとはねえ。)

五人は目線で複雑な会話を交わした。
代表して仲謀が、ゴホンと咳払いをして言う。
「あー……わかった。夫婦げんかに口を挟んで悪かったな。花、わかったろ、こいつは要はお前に惚れすぎた心配性ってだけだ。うまく話せば外出自由になるだろ」
「なっ…何を言っているのですか仲謀様!惚れすぎとか心配性とか私の話ではなく、彼女が非常識だという話を私はっ×※△○!!」
動揺の余り真っ赤になって言い返している公瑾の横で、花はつぶやく。
「うまく話す……?」
なにを話すんだろう?と花が首をかしげていると、呉夫人が隣に来て耳打ちをした。
「甘えるのですよ、かわいらしく。そしてお願いすればいいのです、お出かけから帰ってきたらちゃんとフォローも忘れずに」
花が真っ赤になって呉夫人を見ると、夫人はにんまりと笑って頷いた。仲謀がつづける。
「公瑾、お前は……お前はもうちょっと素直になれ。そんなんじゃいつか嫁に逃げられるぞ」
えらそうな仲謀の顔。公瑾は憮然とした。
なんなのだ、この展開は。なぜ私が妻ボケのバカな夫になっているのか!
公瑾は咳払いをして気持ちを落ち着ける。
「……僭越ながら結婚もまだの仲謀様には言われましても……」
公瑾は困ったようなふりをした嫌味な微笑みを仲謀に返した。
慇懃無礼とはこのことかというような失礼さ。
嫁を先にもらったのがそんなにえらいか!俺だって別にもてないわけじゃねえんだぞ!と仲謀はカッとなる。

「そういうところだ!素直じゃなくて可愛げないところは。よし、いいことを思いついた。お前には練習が必要だ!」
「は?練習……ですか?」

「そうだ!この場でこいつの好きなところを言ってみろ!」

そう言って仲謀が指さしたのは、当然花だった。
驚く皆の前で仲謀は続ける。
「式の夜、酔っぱらったこいつから、お前は散々自分の好きなところを聞きだしたそうじゃねえか。片一方だけそんなんじゃ不公平だ、こいつだって同じこと聞きたいに決まってるだろ!さ、言ってみろ、こいつのどこを好きなのか!」
初耳だった花は、「え?私が?酔っぱらって公瑾さんに?」とキョロキョロしている。
公瑾は後ろめたそうに視線を逸らした。
大喬と小喬も仲謀を援護する。
「それいいね!そうだよ、ちゃんと言ってあげなよ」
「好きなところ、10個くらい簡単にでるんじゃないの?ほら、早く!」

「……」
「……」

皆の注目を浴びて、公瑾と花は見つめ合った。
なんだかよくわからないけど、公瑾が花の好きなところを言ってくれるらしい……花としては当然聞いてみたい。
恥ずかしけれど、公瑾のような何でも持ってる男の人がなぜ自分を好きになってくれたのか、とっても不思議なのだ。
少しだけ紅潮した花の頬、期待するような瞳で見上げられて、公瑾は進退窮まった気分になった。
どんなに厳しい戦でも必ず勝機が見えるのに、今は全く見えない。

「ほら早く言えよ」
仲謀に促されて、公瑾はしぶしぶ口を開く。
「好きなところなど……全てで…」
「すべてとか全部ってのはだめだよ!」
すかさず小喬が口に挟んだ。
「全部っていうなら、その全部を一個一個言って!」
「……」

仲謀、呉夫人、尚香、大喬、小喬、そして花。
全ての視線が公瑾に注がれた。

特に隣にいる花の、潤んだ大きな瞳がプレッシャーだ。普段あまり甘い言葉を言わないからか、いやに期待されている気がする。しかしぺらぺらと軽く自分の気持ちを話すのは性に合わないのだ。だいたい軽い。真実味がないではないか。
「まさか一個も好きなところがないとか言いだすんではないでしょうね」
呉夫人の厳しい声が飛ぶ。
公瑾は追い詰められた。

一体なぜみな彼女の味方なのですか。
長い間ともに戦ってきた私の味方は一人もいなのでしょうか。
まさかホームでこのようなアウェー気分になるとは……
尚香様、ひどい!というような顔をしてみないでください。今の言葉は私のではなく呉夫人がおっしゃったのです!
花殿も…!なにをショックを受けているのですか!一個も好きなところがない女性と私が結婚するはずがないでしょう!

はあ………と公瑾は深い深いあきらめのため息をついた。
これは言わずには逃れられないようだ。

「好きなところは……」
言いかけて公瑾ははたと花を思い浮かべてる。

かわいらしい笑顔

これが一番に浮かんだが、いざ口に出そうとしてふと我に返る。その途端、耳が熱くなるのを感じた。

こ、これは……これをこの場で言うのか?わ、私ほどの男がこのような場所でこのようなことを……しかしこの状況で言わないわけには……

「か、かわいらし、い……え、笑顔、が……まず……」
声が上ずってしまって余計恥ずかしい。顔も赤くなっているのだろう。これをあと9個……!
花もとなりで恥ずかしそうにしているのが見えるが、それが余計にはずかしい。いったい自分はここで何をしているのか。
公瑾は暗くなった中庭の木からとびだった小鳥を見て、遠い目になる。
ああ、私もあの鳥のように自由に飛んで行ってしまいたい……

「次はー?」
容赦ない大喬の声が飛ぶ。笑を含んだ楽しそうな声。
「つ、次は……」

公瑾の脳裏にパッと昨夜の寝台での彼女が思い浮かんだ。
全てが新鮮で初々しく、公瑾の理性がとんだ昨夜の花。恥ずかしがっているくせに公瑾の愛撫には敏感に反応し、公瑾に導かれるまま何度も絶頂に達した感じやすいからだと素直な感性。花の甘い香りに包まれて、昨夜の公瑾はまるで天国にいるようだった。

こ、これはここでは言えない。何か他の物を……

しかし、他を考えようとすればするほど、花の性的な部分の記憶が揺り起こされる。
過去に飛んで戻ってきたときに抱き付いてきた花の華奢な体。あの時初めて女性として意識をした。細いのに柔らかく丸く、腕の中にすっぽりとおさまるサイズ。あの抱き心地も公瑾の好きなところだ。あの時はかろうじて抱きしめはしなかったが、ふわりと花の甘く優しい香りがした。
しかしこれも当然この場にはふさわしくない。

「早く言えよ」
仲謀の声に、公瑾はピンク色の思考を振り払い、人前で言うことができる『花のすきなところ』を必死で考える。

「い、いい匂いがするところ…で、しょうか……」

皆が微妙な表情で顔を見合わせる。
これは……聞いてる方も恥ずかしい。が、楽しい。
そーか、花はいい匂いがして公瑾はそこが好きなのか、と妙にわくわくしてくるではないか。
「次はなんです?」
尚香がうきうきと尋ねる。
公瑾はうろたえた。
「つ、次はですね……」
公瑾の横の花も、これは羞恥プレイだと小さくなっている。

呉夫人は少しイジメすぎたかと思い止めようと二人を見て、心を変えた。
普段は決して動揺などしない公瑾の慌てぶり。
横で恥ずかしそうにしている花。

なんともまあかわいらしく幸せそうな姿ではないか。
呉夫人は、これも新婚で幸せな二人への祝福の一つだろう、とほほ笑んだ。











つづく