【子龍の安眠】


  

うわあああああああああああ!ドラマCDの龍花に転がったので!思わす子龍くんです。
本編の例の東屋のあのあたりで。
本編途中、両片想いの時の玄徳軍モブになって、二人の行く末をニヤニヤと見守りたいです。





東屋で孔明と子龍と一緒にお茶を飲んだあと、部屋に戻ろうとした花は芙蓉に捕まった。
「なになになに〜?何話してたのよ?なんか険悪なムードだったけど?」
笑みと、そのほか何かを含んだような表情でそう言われて、花はキョトンとする。
「え?険悪?そんなことないよ?ちょっと師匠がいろいろ聞いてただけで、子龍くんもいつもどおりだったし」
「そんなことないでしょー?遠くから見てただけだけど、子龍、なんだか公明殿とあなたの間に入って言い合いしてたじゃない」
花は首をかしげた。
「確かに子龍くんは師匠の行動を軽率だって言ってたけど……怒って、とかそんなんじゃないよ」
「……」
芙蓉は、何か言いたいけど何を言えばいいのかわからない、といった顔をして黙ってしまった。花は無邪気に「じゃ、師匠に用事言いつけられてるから、もう行くね」と言うと、バイバイと小さく手を振ってその場を立ち去る。
「……あんまりにも鈍すぎるでしょ……」
芙蓉が呆れたようにそう呟くと。
「ボクもそう思うんだよねー」
と、ふいに後ろから声がして、芙蓉は「きゃあ!」と声を上げて飛び上がった。
「こ、孔明…殿」
後ろに立っていたのは花の師匠、孔明だった。さきほどの三角関係バトルの一辺を受け持っていた人物。
孔明はさきほど花が曲がっていった角のあたりを見ながら、両手を頭の後ろで組む。そしてどうでもよさそうに言った。
「花もそうだけど子龍殿もね。ちょっとありえない」
嫉妬に狂ってるわけでもなさそうな孔明の飄々とした横顔を見ながら、芙蓉は恐る恐る聞いた。
「あの……孔明殿は…その、いいんですか?」
「いいって何が?」
「その……花と子龍が、ってことです」
「いいもなにも……お互いがお互いをどう思ってるのなんて城内でわかってないのは本人たちだけだと思うけど」
「孔明殿はそれでもいいんですか?城内の噂では、孔明殿と子龍殿が花を取り合っているってもっぱらの噂ですけど」
芙蓉がそう聞くと、孔明は「んー……」としばらく考えた。
「いいっちゃいいんだけどね。でも今のままじゃあ、三角関係の片一方にしてはあまりにも相手が張り合いなさすぎてねえ……」
「まあ、確かにあの堅物の子龍じゃあ、恋敵って感じじゃないですよね」
苦笑いとともに芙蓉がそう言ったとき、孔明が「そうだ!」と頭の後ろで組んでいた手をほどきポン!と手を打った。
そして瞳をキラキラと輝かせて芙蓉を見る。
「子龍殿にもうちょっと先取点をあげようかな。芙蓉姫、ご協力願えますか?」
軍師孔明の初めて見るいい笑顔に、芙蓉は目をパチパチと3回瞬かせた。
「……は、はあ……」


「随分遅くなってしまったな……」
子龍は急ぎ足で孔明の執務室へと向かっていた。かなり夜も更け、肌寒く感じられるが体を動かしている子龍にとっては軽く汗ばむほどだ。
中庭から聞こえてくる総合訓練の気合の声に、子龍はふとそちらを見る。
本来なら子龍も、この夜間訓練に参加する予定だったのだが、急遽孔明から他行を申し付けられてしまったのだ。朝早く出かけ、帰ってきたのが今。
子龍はまだあかりがついている孔明の執務室の前に立った。
ふと、ある女性の顔がよぎる。

……あの方は中にいらっしゃるのだろうか……

『師匠』という立場をいいことに、彼女を好きなようにこき使っている孔明に、正直子龍はいい気持ちを抱いてはいなかった。
そりゃあ、三顧の礼で迎えた軍師で、この大陸に『伏龍』として知れ渡っており、味方にすれば頼もしいこと山のごとく敵にすれば恐ろしいこと火のごとくといった『超』のつく切れ者だ。軍師としては……まあ確かに優れているのだろうが、しかし師匠として、さらに言えば男として優れているとは、子龍にはとても思えなかった。
恋仲でもない女性にたいしてベタベタベタベタ……しかも彼女が弟子という立場のせいで強く出られないことをいいことに時代が時代ならセクハラとパワハラとして訴えられてもおかしくないことばかりしているのだ。
先日の東屋での傍若無人な孔明の振る舞いを思い出して、子龍はまた胸がムカムカしだした。最近孔明のことを考えるといつもこういう気分になるのだ。何か悪いものでも食べたか、胃腸風邪かと一度医者のところに行かねばと思ってはいるのだが、いかんせん忙しくて時間がとれないままだった。
子龍は顔に似合わずごつごつと節ばった大きな手で自分の胃のあたりを抑えると、一度深呼吸をしてから声をかけた。
「子龍です。遅くなりました。ご報告にあがりました」
中からはすぐに声があった。
「ああ、ご苦労さま。どうぞ入って」
「失礼します」
執務室の中にはあかりがふんだんにともされていて、夜なのに字が苦労なく読めるほど明るかった。
子龍はさっと部屋の中に目を配らせる。
花はいなかった。

よかった……

例え仕事とはいえ、こんな夜遅くに一つの部屋に二人きりでいるのはよくない。
なぜ良くないのかは良くわからないが……
いや、城内での孔明と花の仲についての噂がまたひどくなってしまう。噂のたねは少ない方がいいのだ。しかも最近はそれに子龍自身も加わって、花が一体孔明を選ぶのか子龍を選ぶのかと話しているのが子龍の耳にまで届くようになってきている。中には賭けをしている者もいるらしい。
子龍としてはそんな根も葉もない噂話の対象に花が挙げられること自体が我慢ならなかった。だから、今、彼女がこの部屋にいないことに安心したのだ。
そうだ、それだけだ。花に孔明とこれ以上仲よくなってほしくないとか、孔明が花に話しかけないで欲しいとか、孔明が花を見ないで欲しいなんてことまでは思っていない。
子龍がそんなことを考えているあいだに、孔明は子龍が渡した文書を読み終えていた。
「うん、了解。助かったよ、子龍殿」
「いえ、仕事ですので」
孔明はニッコリと微笑むと、手に持っていた文書を机に置きながら子龍を見た。
「もうボクの用事はこれで終わり。下がってくれていいよ。夜間訓練も出なくていいから風呂にでも入って夕飯食べてゆっくり休んでください」
「は……訓練には途中から参加しようと思っていましたが……」
「ああ、もうボクが将軍に君は休むって伝えちゃった。朝から晩まで移動して夜も寝ないで訓練なんて、訓練にならない上に重大な事故を引き起こしかねない。ゆっくり休んで体調を整えるのも仕事のうちだよ」
「……了解しました。では、下がらせていただきます」
「うん。お休み〜」

背後でパタンと扉の閉まる音を聞いて、孔明はニンマリと笑った。
「さて、と……あとは芙蓉姫かな」



その少し前、もう寝ようかと思っていた花は芙蓉姫の来訪を受け、雲長が作ったというお菓子をすすめられていた。
「あの人、量の計算ができないみたいでバカみたいにたくさんつくっちゃったのよ。だから今こうやって配ってるってわけ。大人の味だけど結構美味しいわよ」
ポンと口の中に放り込まれたのは、なにか丸くて小さいもの。
「……おいしい!……けど、なにかちょっと苦いような……?」
花はもぐもぐとそれを味わいながら首をかしげた。でもとても美味しいのだ。芳醇という言葉がぴったりなくらい、ジューシーでコクがある。
「これ、なんていうお菓子なの?」
花が、山盛り持っている芙蓉のお皿からもう一つ掴み取ると、芙蓉は嬉しそうに笑った。
「知らない。でも気に入ってくれてよかったわ。さ、じゃんじゃん食べて!」
「うん、じゃあお言葉に甘えて。本当においしい!」
花が食べているお菓子は、かなり強い酒に浸したものだった。匂いはほどんどく味も薄い。かすかにアルコールの苦味を感じるかもしれないが、菓子の甘味で気づかない者も多いだろう。

これを適度に花に食べさせて……と。

芙蓉は孔明に言われた策を頭の中で思い出す。そしてわざと思い出したように目を見開いて声をあげた。
「あっ!!」
当然ながら花は芙蓉を見て聞いた。「どうしたの?」
「玄徳様に、寝る前に執務室にくるよう呼ばれてたんだった!どうしよう!」
芙蓉は慌てて立ち上がる。もちろん演技だが、そんなことは知らない花は、芙蓉に早く行くように薦めた。
「じゃあ、早く行って。ごめんね、時間とらせちゃって。美味しかった」
「ううん、そうじゃなくて。私、これから子龍の夕飯を兵舎に届けなくちゃいけないのよ。ちょうど雲長の作ったお菓子を配るついでがあるからって、私から厨房の料理人に申し出たんだけど」
芙蓉はそう言って、花の部屋の入口あたりに置いてあるお盆を指し示した。上には今日皆が食べた夕飯と同じものが乗っている。花は当然のことながら言った。
「じゃあ、私が子龍くんのところに夕飯持ってくよ」
「いいの!?」
「うん、もちろん」
「子龍は多分部屋にいると思うけど、いなかったら部屋に勝手に入って待っていてもらえる?」
「え?勝手に?」
「うん。厨房から個別に食事を運ぶ場合はいつもそうよ」
「……うん、わかった」
勝手に部屋に入ってしまっていいのだろうかと少し思わないでもなかったが、話がついているというのなら大丈夫なのだろう、と花は立ち上がった。少しだけ足元がふわふわして、頬が熱く、なんだか妙に楽しいのはきっと気のせいだろう。
花はお盆を持つと、玄徳の執務室へ行くという芙蓉と部屋の前で別れ、そのまま子龍の部屋がある兵舎へと向かったのだった。







兵舎の中は誰もいなかった。
いつも兵舎に近づくと兵士の誰や彼やとすれ違ったりするし、兵舎の前には誰かが話してたり自己鍛錬をしてたりとにぎやかなのに、今夜はガランとしている。
夜間訓練のことを知らなかった花は不思議に思いながらも、芙蓉に聞いた子龍の部屋へと向かう。男臭く乱雑な兵舎の廊下と、これまで来たことのない子龍の部屋に少しだけドキドキしながら、花は外から声をかけた。
「子龍くん?夕御飯、持ってきたよ」
返事は無い。
「子龍くん?」
花はもう一度そう呼びかけてみたが、相変わらず返事はなかった。
「……部屋の外に置いておく……のは、兵舎とはいっても廊下は一応外だし、虫とかホコリとかかかっちゃうよね。それに床っていうか地面も汚いし……かと言ってここでずっと立ってるのも……」
花は兵舎の向こう側にある道を歩いていく見回りの兵が、自分の方を不審げに見ているのに気づいた。兵舎は別に女性禁止というわけではないし、家族がいる兵士用の兵舎もあるから、別に花がいてもいいのだが、部屋の前にずっと立っているのは流石に怪しいだろう。
「芙蓉姫の言うとおりに、部屋の中に入った方がいいかな。……子龍くん、ごめんね」
花はそう言うと、そっと子龍の部屋の扉を開けて中に入る。
中は現代で言うところのワンルームだった。部屋の反対側に武具の手入れに使うらしき道具が置かれ、反対には寝台。向かい側には箪笥のようなもの。どれもこれも整然と整理されている。……というより物が少ないのだ。戦に偵察にと旅の移動も多いだろうし、その勝敗によって拠点を変えることも多い。ここは終の棲家というよりは仮宿のような位置づけなのだろう。数少ない持ち物はどれも飾り気がなくシンプルで使い勝手が良さそうなものばかり。そしてどれもとても丁寧に使い込んである。きっとひとつのものに愛着をもって手入れをしながら長く大事に使うタイプなのだろう。
花は真ん中に置いてある簡素な机の上にお盆を置くと、椅子に座った。
キョロキョロとあまり見るのも悪いけれど、どこもかしこも花の知らない子龍を想像してしまってどこを見ればいいのかわからない。花はとりあえず目の前のお盆をじっと見ることにした。
そうしているうちに、さきほど芙蓉からたっぷりと食べさせられた酒がだんだんと効いてきて、花のまぶたが重くなる。
酒に酔っているとは気づいていない花は、何度か頭を振ったり両頬を叩いたりして目を覚まそうとしたが、どうしても眠気を払えなかった。こんなところで寝るなんて……と思ったものの、もう思考すらできないほどに頭に重い膜がかかり意識が遠のく。
花は机の上に突っ伏して、眠りの波に気持ちよくのまれたのだった。


風呂に入りさっぱりした子龍は、自室の扉を開けて目をパチクリさせた。
「……花、殿……?」
自分のいつもの机に花がが突っ伏して眠っている。
花の横に置いてあるお盆を見て、子龍は花が自分に遅い夕飯を持ってきてくれたこと、子龍の帰りが遅く眠り込んでしまったことに気づいた。
食事はありがたい……が、彼女はどうすればいいのだろうか。
「花殿。花殿?」
大きめの声でそう呼びかけてみたが、当然のことながら酔いつぶれている花は無反応だ。子龍は腕組みをして困ったようにあたりを見渡した。抱き上げて彼女の部屋まで運ぶのはわけないのだが、結構な距離がある。絶対に誰かに見られて噂になるのは目に見えている。
深夜とも言えるこの時間に、噂の的になっている子龍が眠っている花を抱いて運んでいれば、翌日の噂がどういうことになっているかは火を見るより明らかだ。あの孔明なら、それぐらい平気でやって噂を煽って愉しみそうだが、自分は違う、と子龍は思った。
そんな噂を建てられても、男は特には傷つかないものだが女性は傷ついてしまうものだ。彼女もひそひそと噂されて嫌な気分になるだろうし、彼女の評判にも傷がつく。
彼女の部屋まで運ぶのは却下だ。
では、誰か人に頼んで運んでもらうのはどうだろうか。彼女を自室まで運べるのなら男性に頼むしかないが、彼女を……その、彼女の了承無しに他の男性に抱き上げさせるのには抵抗がある。
「いや、それなら俺が抱き上げて運ぶのも同じだったな。花殿の許可もないのに勝手に触れるのは……」
戸板で運ぶとなるとどこか怪我をしたのか病気なのかと今度は別の意味で騒ぎになりそうだし……
「……」
子龍はしばらく考えると、「失礼します」と聞こえていないにもかかわらず花に向かって一言謝り、彼女を抱き上げた。そして自分の寝台へと運ぶ。
これが一番安全だろう。
今日は兵士たちは皆夜間訓練で明け方まで不在だ。そして朝頃には就寝して、明日日中は皆寝ていることだろう。
そのころには花は子龍の部屋で目覚め、こっそりと兵舎を抜け出すことができる。
花もゆっくり眠れるし、彼女の評判も守れるし、この案が最善だろうと子龍は寝台の枕元の明かりを消すと、花に布団をかけた。そして薄暗い中で花が持ってきてくれた夕飯を食べ始めた。


次の日。朝食後、花の部屋。
花に、今朝目が覚めたら子龍の寝台に寝ていたと打ち明けられた芙蓉は、さも初めて聞いたと言わんばかりに大げさに驚いた。
「ええ?昨日の夜、あのあとそんなことがあったの!?」
実際は芙蓉は昨夜孔明と二人で気づかれないよう距離を取りながら花のあとをつけ、子龍の部屋に花が入ったあともしばらくそこにいて、子龍があとからその部屋にはいったこと、二時間以上たっても二人共出てこないことを確かめて、自分たちの部屋に帰ったのだが。
「そうなの。私、子龍くんの部屋で一晩……」
「んまああああああ!子龍ったら!!意外にやるわねええええ!」
みょーに嬉しそうに興奮している芙蓉を不思議そうに見ながら、花は続けた。
「子龍くんには迷惑かけちゃった。でもなんであんなに眠くなったのかな。途中から全然覚えてないんだよね」
「子龍にとっては迷惑どころか大喜びじゃないの!それにしても子龍がねえ……想像もつかないわ。一体どんなふうに……?」
興味津々という感じで聞いてくる芙蓉に、花はさらりと答えた。
「子龍くん?子龍くんなら寝台の横の床に座って、腕を組んだまま寝てたの。寒かっただろうし床も硬かったと思うし、仕事で疲れてたのに、私が寝台を独占しちゃって本当に申し訳なくて……」
「……ちょっと待って」
花はセリフの途中で止められて、「え?」と芙蓉を見た。芙蓉の目が鋭く光って花を見つめる。
「子龍は床で寝てたの?花と一緒に寝台で寝たんじゃなくて?」
芙蓉に言われて花は驚いた。
「ええ!?子龍くんと私が?子龍くんがそんなことするわけないよ!」
「……」
芙蓉は指で額を撫でながら眉間にしわを寄せた。
「……確かに子龍がそんなことするわけないわよね……」
でも仮にも好きな女の子が自分の部屋でぐーすか無防備に寝ているのだ。なんとも思わないわけはないだろう。
花は眠っていて気づいていないだけで、もしかしたらこっそり口づけぐらいはしたかもしれない。
芙蓉は花に適当に言い訳をして、花をおいて部屋を出て一人で孔明の執務室に向かった。

執務室には、ちょうど子龍と孔明が二人でいた。二人の表情からついさっきまでこの件について話していたのがわかる。孔明は苦虫を噛み潰したような顔をして、子龍は平然としていた。部屋に入った芙蓉は、とりあえずなぜここに来たかを二人に説明する。
「えーっと……花から昨日の夜子龍の部屋で眠ってしまったって聞いて、どうしようかと相談に……」
しどろもどろに芙蓉がそう言うと、孔明が頷いた。
「そう。若い男女が一晩同じ部屋で過ごしたのだから、今後について相談しないといけないとボクも思って子龍殿を呼んだんだけどね……」
子龍が不審げに聞いた。
「今後について相談?」
その、全く何の後ろめたいこともなさそうな子龍の様子に、孔明と芙蓉は顔を見合わせた。そして孔明はため息をつきながら羽扇で口元を隠しながら子龍に聞く。
「まあ、聞くまでもないけど、花は君の寝台で寝て君は床で寝て、本当にただ一晩眠っていただけだと」
「当然です。ただ、一般的には夜遅く男の部屋に来ることはもちろんその部屋で眠り込んでしまうことも危険極まりないことです。私からも朝強く言いましたが、師匠である孔明殿と、同じ女性である芙蓉姫からも花殿にもう少し警戒心と緊張感を持つようにと言っていただけますか」
「……ハイ……」
毅然とした子龍の言葉に、眠り込んだ花に対してふらちなことをした様子はかけらもなく、『夜中にふたりっきりドキドキお泊り大☆作戦』を考えた二人は、肩を落とすことしかできなかった。

訓練があるので、と部屋を出ていった子龍を見送ったあと、残された孔明と芙蓉はお互いにもう一度ため息をついた。
「……まったくなにもなかったんでしょうか……」
「……なかったんでしょう。あの子龍殿の様子を見ると」
「……何も思わなかったと?」
「……何かは思ったかもしれないけどね。……いや、思ってすらいないかもな、あの子龍殿の様子なら」
まいったというように肩をすくめる孔明に、芙蓉は重ねて聞いた。
「これからも何も変わらないんでしょうか?」
「……変わる……とは思えない、かなあ…。もうちょっと強力な策を実行すれば変わるかもしれないけど、そうするには花の協力がないとできないからねえ…」
あの天然鈍感の花には無理な事だ。
孔明と芙蓉は三度目の大きなため息をついたのだった。

孔明と芙蓉の想像通り、子龍はいつもと変わらず平常心で訓練をこなした。
昨夜のできごとについては、花の無防備さにいらついたが、それは以前から感じていたことだ。こういう具体的な事例になったことで、子龍だけでなく孔明や芙蓉からも花に注意してもらえれば、花も変わるだろうと前向きに思っていた。
いつもどおり夕飯を食べ風呂に入り、いつもどおりに眠りにつこうとした子龍は、ふとやわらかな匂いに包まれて閉じていたまぶたをぱっちりと開いた。

なんだ?この匂いは……

そうして、昨日花がここに寝たのを思い出すと、ガバっと飛び起きた。慌てて寝台から降りる。

こ、このままここで眠るのは……

子龍は我知らず顔が赤くなるのを感じた。誰に見られているわけでもないのにドギマギとあたりを見わたす。
このままここで眠るのはまずい。
匂いの主の寝顔や、『ん……』という小さなつぶやき、布団のあいだから見える乱れた着衣など、昨夜は見ないように聞かないようにしていたことをまざまざと思い出してしまう。
思い出してしまうだけではなく、その先……以前一瞬だけ見てしまった泉での水浴びの裸体や、暑い時に見えた白い二の腕、髪を上げた時のうなじなどを想像の中でつなぎ合わせてしまう。
子龍は首を横に振ると、箪笥の方から防寒用の厚手の上着を取り出すと、それを着てどかっと床の上にあぐらをかいた。野宿には慣れているし、戦や旅の時は寝台で眠ることのほうが珍しいくらいだ。二日連続で床で座って眠ってもどうということもない。明日の朝になったら寝台の敷布とうわかけを洗えばいい。洗えばきっと匂いもとれるだろう。
「……匂いもとれる……」
そこまで考えて、子龍はふと思った。それはもったいないと。
「な、何を考えているのだ!」
もう一度頭を振るが、確かに彼女のあの優しく甘い匂いを自分の手で消してしまうのは、なんというかさみしいというか切ないというか……もったいないというか……
「いや、しかし取っておいてどうするというものでも……」
くるまって眠ることもできないのに取っておくのは無駄でしかない。いや、時々取り出して匂いを……楽しむというか……
「いや、そのようなことは…!!」
かと言って、自らこの匂いを消すのは胸がいたい……だが大事にとっておいたり、時々取り出して楽しむなどと、そのような行為は男として、いや、人としてあるまじきことだ。だが……

子龍の自問自答のループは、それから2週間、花の匂いが自然に寝台の掛布から消えるまで続き、その間子龍に安眠が訪れることはなかったのだった。










おしまい